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トリノのお菓子、といえばハシバミの実を練りこんだチョコレート、ジャンドゥイヨッティ。チョコレートとコーヒーを見事にマッチさせた飲み物、ビチェリンも有名だ。
チョコレート伝来から、ヌテッラ発売まで、トリノのチョコレートたちの歴史を振り返ってみよう。

■大衆化するチョコレート
カルロ・エマニュエレ一世とスペインのカテリーナ王女の婚姻が行われた16世紀後半には、神の飲み物とされたチョコレートは一般にも広く受け入れられ、アントニオ・アッリは1678年「今後6年間、チョコレートドリンクを一般に販売する許可」を王室から授けられる。こうした許可を受ける人間は彼が初めてで、また一般に飲み物として販売したのも始めてであった。その後、彼に続くチョコレート屋が、via Doragrossa(現在のvia Garibaldi)やContrada Nuova(現在のvia Roma)に特に多く出現することになる。数年後、こうしたトリノのチョコレート屋は一日に350キロを生産するようにまでなり、一部は輸出に回されていた。

■政治の舞台にもなった18世紀のカフェ
しかし、真のチョコレートブームがトリノで起こったのは18世紀の啓蒙時代だ。実際1700年代には多くのカフェが誕生し、広まっていった。そしてこうしたカフェの多くが、日常生活や社会の一部となり、イタリアの歴史の一部をなし、そして、リソルジメントの時代をになっていった。こうして1700年代、チョコレート職人は裕福になっていったが、知識階層やブルジョワ階層からは、作法や教養が追いついていないと軽蔑されていた。現在もチョコレート屋という言葉には、なりあがった、というような響きがあるといわれる。また、当時貴族が朝食時に飲んでいたといわれる、コーヒーをベースにチョコレートとミルクを入れた飲み物、バヴァレイザ、ビチェリンなどもこの1700年代に生まれ、広がっていった。

■チョコレート産業の黎明期
1700年代後半、チョコレートにも産業化の波が押し寄せ、最初のチョコレート企業、カッファレル社Caffarelがバルドッコ地区に創業する。1800年代にはトリノはチョコレート加工技術の中心地となり、チョコレートを固める技術を学ぶために、スイスからも技術者がやってきたほどだった。1819年、スイス人職人のフランソワ-ルイ・カイエFrancois-Louis Caillerはトリノでの修行後、スイスに店を開く。後に世界的大企業に成長することになるネスレNestleの誕生だ。1826年にはトリノにカッファレル・プロシェ社Caffarel Prochetが登場。その後も10数年の間にタルモーネ社Talmone、ベアタ&ペッローネ社Beata & Perrone、レイナ&ストラッタReina & Stratta、バラッティBaratti、グルベールGruberなど多くの企業が創業した。

■トリノのチョコ革命
1800年代はその他、チョコレートに関する2つの新発見、ビチェリンbicerinとジャンドゥイヨッティgianduiottoももたらした。ジャンドゥイヨッティは1852年、ミケーレ・プロシェMichele Prochetによって開発された。ナポレオン政権下の取締りでカカオの不足を補うためにランゲ地方で取れるヘーゼルナッツをチョコレートに混ぜ合わせて作ったチョコレートは、チョコレート界の「革命」となったのである。名前は、トリノの町を象徴するキャラクター、ジャンドゥイヤからとられ、また初めて銀紙に包装されたチョコレートとも言われている。
一方、ビチェリンは現在もトリノの市民に愛飲されている飲み物だ。コーヒーをベースにチョコレート、生クリームを加えたもので、小さなガラスのコップに入れて出されるビチェリンは、小デュマやニーチェなどトリノを訪れる著名人をも魅了してきた。

■近代チョコレート企業の動向
1900年代もその他1700年代から続いてきたように、様々な歴史が刻まれていく。現在、チョコレートの大手としては、60種類以上ものチョコレートを生産し、ジャンドゥイヨッティからプラリネまで世界中に輸出をしているペイラーノPeyranoが挙げられる。その他、カステッロ広場に豪華なカフェを持つバラッティ&ミラノBaratti & Milanoや、サッキ通りの店に何世紀も前の機械を未だに残すPfatischプファティッシュ(EUの規制がしかれる前までこの機械を実際に使用していた)などがある。郊外にはカッファレルCaffarel (Luserna S. Giovanni)(ルゼルナ・サン・ジョバンニ)、ストレリヨStreglio(ノネ) (None)、フェレッティFeletti(ポン・サン・マルタン) (Pont-Saint-Martin)などの企業が工場を持つ。

■TVコマーシャルとともに誕生した、ヌテッラ
また、映画や文学のおかげで世界的に広まったヌテッラに関しても面白い歴史が残っている。このチョコレートクリームの生みの親はピエトロ・フェッレーロPietro Ferreroで、トリノはサンサルヴァリオ地区に大きな菓子店を経営していた。1946年、彼はこのチョコレートクリームの発売にこぎつける。チョコレートが暑さに溶けたのがヌテッラ開発の糸口となり、フェッレーロ親子によって、広告とテレビが主役の世紀に日の目を見るようになった・・・とトリノ市民に語り次がれているが、このトリノ生まれのチョコレートクリームが世代を超えて愛され続けていることは間違いなさそうだ。

 

 


バラッティ&ミラノのチョコレート。18ユーロ。

 

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