ホーム>トリノ研究> グリッシーニはなぜ長い

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トリノの名物の中でお土産としてもよく知られている細長い棒状のパン、グリッシーニ。
トリノのレストランなどに入ると、テーブルにはそのまま、あるいは布に巻かれた状態でパンとともに置かれているのをよく目にすると思う。片手で握り、親指でパキパキと一口大に折りながら、フォークでなかなか取れない皿の上のアンティパストをつまむ補助役にするもよし、お箸の真似してイタリア人のウケを取るもよし・・・(あ、でもほどほどにね)。
ここでは、グリッシーニの誕生の秘密とその「効き目」を探ってみた。


■宮廷御用達の病人食??
時は
17世紀後半。トリノを治めるサボイア家の跡取り、ヴィットーリオ・アメデオ2世が誕生する。誕生当時からひどく病弱な子供だった彼だが、父のカルロ・エマヌエレが早くに死去し、9歳でサボイア公爵となる。が、依然体は病弱なままで、後見人として公爵を支えていた母が宮廷医に相談、医師は宮廷お抱えのパン屋に消化がよく繊維質を多く含むパンを作らせ食事療法を勧める。アントニオ・ブルネロというお抱えパン職人が作ったいわば病人食が、グリッシーニの起源だ。
すぐに大好評を得ることになったこのグリッシーニ。王室・貴族用には最上質の小麦粉だけ、庶民が口にするものには、3分の一はライ麦の混ざった小麦粉を使用し、時にはそれにとうもろこしの粉が少し入ることもあった。これに水を加えて練り、こんがりと焼き上げる。長さは職人の両の腕を伸ばした時と同じ程度など、形にも決まりが出来るようになった。名前は、ピエモンテ方言で細長いパンを表すgherssaからgherssinを経てイタリア語のgrissino(=単数形。複数でgrissini)となったといわれている。

■欧州の王室に大人気
グリッシーノは時の名物となり、欧州中の宮廷、王室に広まった。フランスでは特に「トゥリンのプチ・バストン(意訳:トリノの小枝パン?)を一度でいいから食べたいものぞ」との声が高く、トリノのグリッシーニ職人を2人パリに呼び寄せてまで、同じようなものを作ろうと試みられた。しかし、ポー川の水とトリノの空気が、セーヌ川のそれとパリの空気とはよほど違ったのか、結果は失敗に終わったという。時の皇帝ナポレオンなどは、グリッシーニを食べると潰瘍の調子がよくなるといって、わざわざ皇軍の飛脚を使い、トリノから取り寄せていたほどだ。ガイドブックにも「ナポレオンの小枝」と紹介されるのは、こんなことから由来しているのだろう。

■グリッシーニの「効き目」
サボイア家の中ではその策士振りと頭の回転の良さで知られる公爵に成長したアメデオ2世。病弱だった幼少時代とは打って変わって、波乱の世を治め、サボイアの狼と言われるまでになる。・・・ちょっと元気になりすぎてやしないか?1705年、ピエトロミッカが命をなげうってフランス軍の道を絶ったエピソードが有名な、フランス軍によるトリノ包囲。その時も、最後に包囲を解いたのはアメデオ2世だった。その後ユトレヒト条約(世界史とった人、覚えてますか?スペイン継承戦争のあれですね)によりサボイア公国はシチリア王国に「昇格」、その後シチリアとサルデニアを交換しサルデニア王国となり、アメデオ2世は国王の称号を最初に獲た人物となった。母后を心配させた病弱な少年が、紆余曲折を経て国王にまで成長したのも、幼少時のグリッシーニあってこそ、なのかも知れない。

 

 

 

 

 国王を育てた?グリッシーニ

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