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トリノといえば、サッカー。そして強豪のユベントス。サッカー及び、スポーツ全般に音痴を発揮する私には、なんだか野球の巨人とかぶってる部分もありますが(どんなかぶりかたでしょう)こちらのチーム、選手をお目当てにトリノに注目された方も多いはず…。ということで、今回はユベントスを取り上げます。
ただ、ユーベのコアなファンでかなりひねった問題でも回答できるという方にはアカゴの手をひねるようなものだと思いますのであしからず。
■誕生はなんと一世紀も前
1800年代後半、革のボールとともにロンドンからサッカーなるスポーツをトリノに持ち帰ったおじさんがいました。その人の名は、エドアルド・ボジオ。イタリアサッカー界の父として、トリノでサッカーが広まるきっかけを作った人らしいのですが、多分誰も知らないでしょう。イタリアでもかなりマイナーらしいので…。
とにかく、このおじさんからサッカーは広まり、1891年には最初の試合が開催されます。かのバレンティーノ公園でも試合は行われたようです。
そして、1897年度。ダゼリオ後期中等学校の学生等が、サッカーチームを作ることになります。チーム名を決めるには長い長い議論を戦わせ…ついにスポーツ・クラブ・ユベントスの名に決定しました。他に、マッシモ・ダゼリオ会、ヴィア・フォート会などの候補があったようですが…。こうして、ユベントスは学生等のサッカーチームとして出発しました。当初、試合はチッタデッラ広場のスペースを利用して行われたようです…。
■転換の年1903年
1899年になると発足当時白シャツだったユニフォームが赤に変わり、帽子とネクタイもユニフォームの一部となります。
1900年にはユベントスはFIF(イタリア・フットボール連盟)の一員として登録し、同年3月11日にはチャンピオンシップに初参加を果たしました。
そして、転機の年となる1903年。といっても創立から数年しか経っていないですね。この年、ユベントスカラーともいえるあのユニフォームがロンドンで発注されます。
このあと、26回にも及ぶスクデットを獲得。アズーリ、イタリア代表としての活躍ぶりは皆さんご存知の通り。
トリネーゼ=トリノの地元人はもう一つのチーム「トリノ」のほうをひいきにする人も多いようですが、とにもかくにもトリノに住む人々に最も愛されているチームに成長していったわけです。別称もいろいろあって、ビアンコ・ネーロからゼブラ(シマ馬ですね)、ヴェッキア・シニョーラ(老婦人)、マダーマ(こちらも婦人、の意味ピエモンテ方言が入ってる?)などなど。勉強不足でなぜご婦人関係が多いのか良くわかりませんが、マダーマ宮殿があったりすることやら、最強の実績と老練な何でも知っている老婦人のイメージを重ね合わせたとか…そんなところではないでしょうか。
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参考サイト:
Juventus.com
ユベントス公式ページ
Juventus1897.it
こちらもユベントスのページ
Yahooではクールマーク
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ユベントスクラブの公式ページ
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