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トリノを本拠地とするサボイア家。
王家を食の面から支えた宮廷料理人、ヴィアラルディに今回はスポットを当てます…。


■年俸960リラで宮廷の厨房へ・・・
1804年、ピエモンテ州北部のビエッラに生まれたジョヴァンニ・ヴィアラルディは、わずか20歳でサボイア家の厨房に入ることになる。当時彼が受け取った年俸は960リラ。少なかったのか、多かったのか、いまひとつ定かではないが、王家のお抱え料理人としての長いキャリアを踏み出すこととなった。
当時まだ王子だったカルロ・アルベルトや後生の王達ご贔屓の料理人として活躍するだけでなく、ピエモンテの上・中流貴族達の食にも影響を及ぼした。後世のヴィットーリオ・エマヌエレ2世はそのグルメぶり、ワインに関する博識、そして良き狩猟家であったことでも知られるが、偶然と言うよりはサボイアの培った食に対する姿勢の集大成と言うことでもあるのかもしれない。


■意外に遅咲き?43歳で宮廷料理長に
それにしても、ヴィアラルディが料理長になったのはそう早い時期ではない。私生活では27歳で結婚し、7人の子どもをもうけていたというから、料理研究に明け暮れるという生活ではなかったのが災いしたのだろうか。
まぁ、左のヴィアラルディの肖像を見ていると、気鋭のカリスマ料理人というよりは自分も食べるのが好きな大らかな料理人という気がしてくる。
ともあれ、6番目のマリア・アンナが生まれて5年後の1845年に、副料理長に昇格。2年後の1847年、43歳にしてに宮廷の料理長となった。
そして、宮廷に仕えて30年目の1853年、ヴィアラルディは引退する。




■定年後、第二の人生で花開く

何も昇進したり、有名になることだけが人生の花ではないが、ヴィアラルディは引退の翌年、『Trattato di cucina, Pasticceria moderna, Credenza e relativa Confettureria 』と言う長いタイトルの料理本を出す。無理やり日本語に直訳すると「料理、お菓子、加工食品、そしてコンフェット(加糖、加熱したジャムなどの総称)に関するレシピ」となるが、長いのはタイトルだけでなく、19章からなるレシピ数2000以上の大レシピ集なのだ。収録されているのは、スープに始まり肉、魚、ソース、離乳食/子供用の食事、デコレーション方法、飲み物、お菓子、シロップ、シャーベット、ジェラート、リキュールなどそれはそれは幅が広い。
そして、このレシピ集は初めて材料に分量・重さを併記しているレシピ集としても知られている。
1864年には2冊目の『Cucina Borghese』を上梓。
この中から、ピエモンテの郷土料理に欠かせないBagnet Verd(グリーンソース)を紹介しよう。これはピエモンテの郷土料理、ボッリートミスト(茹で肉の盛り合せ)などに必ず添えられる。
「パセリ一握り、にんにく少々をすり鉢(こちらでは大理石のつるりとした物を使う)に入れ、ゆで卵の黄身2個分、酢でふやかしたパン粉一つまみと一緒に良くすりつぶす。その後、よく裏ごしし、酢と油で伸ばす。塩・コショウ少々砂糖を一つまみ加え滑らかなソース状になるようにする」

トリノ近郊で68歳の生涯を閉じた料理人ヴィアラルディ。
スローフードなど新たな動きでスポットの当たることの多いピエモンテの食は、大昔から守られ、伝えられてきた一つの宝と言えるようだ。

 
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