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今日の天気





 

2種類取り揃えてございます 18/11/03


トリノの秋冬、お好きなほうをどうぞ。*ある一定の心の余裕を持ってお読み下さい。

今年の新色、いろは坂の紅葉もビックリの素晴らしい紅葉。今年は温暖さが激しかったので(と、勝手に思っています)そのおかげで従来以上に鮮やかな色合いが実現しました。
ところで、撮影場所はかの有名なクエストゥーラのあるパラッツォ・デル・ラヴォーロ。朝5時から移民が滞在許可証を求めて行列するというあの場所です。もちろん私たち日本人もズバリ移民カテに入りますが、G8に属するというだけで、午後に専門窓口があてがわれ、比較的スイスイと許可証を手に出来るのです。まさに地獄の沙汰もなんとやら。ますます移民政策に力を入れている政府には、選挙権なんか要らないから紙切れ一枚に4ヶ月費やすなよ、とつぶやきたくなるそんな秋です。


さて、お次はトリノ定番の灰色の空、深い霧というコンビネーション。通称フィアット・グレーなどと呼ばれてトリノ市民に愛されているこの重たい空気は運が良いと2月中旬まで続きます。
おかげで高速道路は封鎖されたり、追突事故多発でてんやわんや。飛行機も遅れたりキャンセルされたりと世の中をお騒がせです。
トリノで車に乗る人はこの為、前の車のテールランプに接近した状態を保ち、高速でも運転します。これは深い霧でも道を間違わずに運転するための生活の知恵なんですねー。ただ、あまり接近しすぎると数十台に及ぶ玉突き大事故になる恐れもありますが、後続車のために、という心意気はさすが自動車の町として名を馳せるこの町ならではです。




ヌテッラ食いのピーナツバター知らず 16/10/03


ピーナツバターというのは、日本人には結構なじみがあるはずだ。
ワタクシゴトだが学生の頃、ピーナツバターをたっぷり挟んだコペパンが大好きで、自転車乗りながらたまらずかじりついた(どんな学生だ)という記憶も今や遠い思い出。
それに、ピーナッツと発音するとアメリカの匂いがしなくもないが、あの殻を見ていると「千葉の落花生」とかなり身近なところに引き寄せられる。「練り落花生」と考えれば料亭にだって採用されそうだ。

ところで、こちらの友達とワイワイやっている時に、「アメリカ人てピーナツのバター食うんだぜ、あんなカロリー高そうなものを」と一人が言い出して、周囲が「ええーそうなの、さすがアメリカ人、カロリー高いもん食うね」という反応をしたことがある。
「アメリカ=ハンバーガー食い=デブ」という公式がかなり浸透していることもあって、アメリカンフードとくればこてこての高カロリー食しかイメージできない彼等ではあるが、自転車に乗りながらピーナッツバターコッペパンを食べていたことのある私は、イタリア語でアラキデと呼ばれるピーナッツに、ハラキリと混同しながらも、心中穏やかでなかった。そう、あんたたちだってチョコレートを溶かしただけのヌテッラは食うのではないか、ヌテッラ食いたちにそんな言われたかをされる覚えがないのだ。と、あくまでも心の中だけで。

ヌテッラというのも、トリノのどこかの企業が、溶けたチョコレートをヒントに開発したという冗談みたいな食べ物で、人気商品にまでのし上がり、いまや子供たちのおやつに、行楽のお供に、大人気のチョコクリームだ。笑えない冗談があくまでも好きな彼等だけあって、徳用3キロサイズなどもクリスマスの時期などには店頭に並ぶから、旅行などでいらっしゃる方は要チェックかもしれない。もちろん、イタリアンジョークでお土産にしても(というより、重さが気になるかも…)カロリーには世界一気を使ってる日本の皆様からは白い目で見られる可能性が高いと思うのでその辺はご注意いただきたいが。

ところで、ヌテッラ食いのピーナツバター知らずだった一人がこの間ピーナツバターを購入したという。砂糖の入っていない純粋の練り落花生だったようで、あくまでもヌテッラ的に甘いクリームを想像していてかなり落胆していた様子。それでも腹にたまる(そりゃそうだ)、とのことで、おやつに(やっぱり)黙々と食べているらしい。

ついでだが、イタリア北西部ではアラキデだったピーナッツはバジジと呼ばれることになっている。ハラキリなんだか、ジジババなんだか日本語と語感が似ていて紛らわしいことこの上ない単語でもある。



愛煙家、受難の時代 03/10/03


受難シリーズをやるつもりはありませんが…。
それにしてもショッキングなタバコのパッケージに記された黒文字。
この7月にヨーロッパ圏内で販売される全てのタバコの箱にこの表記を義務付ける法律が施行された。従来までは、日本のそれと同じくタバコの箱の側面に小さな文字で警告文が書かれていたものが、今回はなんとこの大きさ。

文面には様々にパターンがあるが、最もシンプルかつ効果的に愛煙家のココロをエグるのが「il fumo uccide」(タバコはあなたを殺す)の文面。右下の「il fumo danneggia gravemente te e chi ti sta intorno」(タバコはあなたとあなたの周囲にいる人の健康を害す)とともにタバコの表側の面積30%にこのフレーズのどちらかを表記する。左の写真の「il fumo invecchia la pelle」(タバコは肌を老化させる)や「I fumatori muoiono prima」(喫煙者は短命)「Il fumo puo' provocare una morte lenta e dolorosa」(喫煙の先にあるのはジワジワとやって来る苦痛に満ちた死)など14種のフレーズは、パッケージの裏側40%に表記されることになっている。
毎年50万人がタバコで命を落としているEUの苦肉の策なのだが、こうした文字が葬儀をイメージさせる黒枠に囲まれて極太フォントで印刷されているのだから警告というより脅迫に近く、まさに喫煙者に対する「戦争」としかいえなさそうだ。
夏ごろにはまだ表示のないパッケージをもっている人も目立ったが、各タバコ屋では今年9月までに表示のない在庫を一掃することになっており、以降、表示つきのパッケージのみを販売しているはずだから、今タバコを買うともれなくこの警告(脅迫?)文が付いてくるというわけだ。10月からはlight, ultra light, mildなどの表示も禁止になる。

これにささやかな抵抗を試みた人たちもいる。
今夏、ナポリのあるタバコ屋が、愛煙家の心理的抵抗を軽減しようと、お手製のカードをタバコと外フィルムの間に挟み、この文字が見えないよう工夫して販売しだした。評判は上場よ、とインタビューに答える店主だったが、もちろん根本的な解決には何もならない…。

一方で、カナダではすでに導入されているという「写真」表示が更に来年から導入されるかも知れないという話も持ち上がった。この「写真」には、真っ黒になった肺のレントゲン写真やヤニで黄色くなった歯の写真などが予定されているという。
すごい。
タバコを吸わない私でもウナサレルようなものすごいキャンペーン。
再度言うが、タバコの販売も喫煙も合法なのに…?そこまでやるならなんか、もっと抜本的な対策を…と政治家みたいな言葉が思わず口をついて出そうになるが、もちろんパッケージだけを問題にしているわけではない。

2004年からはニコチン1mg、タール10mgなどの規定を超えてはならず、この成分表もパッケージの表面積10%に明記しなければならないという。

なんとなく、近い将来、喫煙は違法になるような気がする。





お犬様、受難の時代 03/10/02


日本ではアリゲーターガーが見つかったりハリネズミが見つかったりカミツキガメが見つかったりと日本にはいないはずの外来種が多く見つかって話題になっている。こうした外来種は在来種を脅かす存在として、また人に病気を媒介することもあるらしい。このため、今度の国会で審議され規制法律が出来るようだ。

規制といえば、イタリアでも一部の犬がある規制の対象になっている。
ピットブルという中型犬種が流行のようにこの夏は人に噛み付き、世間をにぎわせたのが大本の原因だ。一度報道されるとピットブル噛み付き被害があちこちで頻出するのもまぁ、不可思議といえば不可思議だが、報道を聞いて模倣するピットブルや、世の中を騒がせたかったと供述するピットブルがいるとは思えないので、これは人間様が過剰反応し、メディア側も積極的に取り上げるからだろう。日本の「異物混入」報道に似ていなくもない。

これに策を講じる形で、大型犬・獰猛な性格の犬種に義務付けられる項目が緊急法令として保健省から出されたのが9月の9日。いつ案を取りまとめたのだと思えるほどイタリア政府の動きは時に素早い。その素早さを紙切れ一枚更新するのに4ヶ月かかるクエストゥーラに分けてやってくれとぼやきつつ、これら犬種に義務付けられた項目を追ってみると…。

対象となる犬種はピットブルのほかシェパード、ドーベルマンなどのピンシャー種、そしてホファヴァルトなどの山岳犬で、公共の場に行くときは(つまり散歩ですね)ひもでつなぎ口輪をすることが義務付けられた。またこうした犬種に対し、攻撃的な訓練を行ったり、攻撃的な犬種を作り出す目的で交配させたりすることが禁止になり、犯罪を犯したことのある人、またその傾向にある人などが所有することも禁じられている。第三者に危害を加えた場合などにそなえ、保険をかけることも義務付けられた。保険額は下手をすると自動車保険のそれに近づくとも言われ、世の愛犬家を悩ませているが、対象となる犬種の見直しなど、愛犬家や動物愛護団体の反発もあってこの法令は近々見直されるようだ。

それにしても獰猛の代名詞にまで成長した今夏の寵児ピットブルは、もともと闘犬用に改良された犬。中型の体に似合わず筋肉質な体つきで顔立ちも獰猛そのものだが、それを望んだのは改良を重ねた人間のほうだったはずだ。最近はペットとしても飼われたりするようになって、公園で子供の顔をかんだりした。結局は日本の用水路にアリゲーターガーを放したりするのと一緒だと思うがどうなんだろうか。夏はバカンスシーズンに乗じてペットを捨てる現象が毎年起こるのだがそれにしても、お犬様、受難の時代だ。




J-waveオンエアのお話 03/09/22
すでにオンエアになっていた、という説明を担当の方から聞いたのはバカンスから戻り、そのまま一週間家を空け、自宅に戻ってから。
何の話かというと先週土曜日に、当ホームページ「トリノ生活」および制作者の私がJ-Waveの番組で紹介された、ということなのです。予定は10月に入ってからとのことだったので、ページを見に来て下さった方、最近の情報が少なくてゴメンナサイ。本当にバタバタしていて…とこれは単なる言い訳デスネ。

インタビューではホームページのこととトリノの町のこと、生活のことなどをお話したのですが、時差の関係で収録があったのは朝の5時。寝起きの頭だったこともあり今となっては内容もあまり覚えて…ないです。さわやかなナビゲーターのお声だけよく覚えています(笑)。

と、今回はトリノの生活とは関係のない話になりましたが、今までずっと見に来てくださっている方、今回の放送を期に初めていらっしゃった方みなさんに改めて感謝いたしたいと思います。いろいろな感想メールを送っていただいているのも大きな更新の励みです!今後も息の長い更新を続けていくつもりですので、よろしくお願いします。



放火魔たちの暑い夏 03/08/13


暑い暑いといわれ続けて数ヶ月。イギリスでも38.1度を記録し、イタリア国内では40度を越す都市が続出。体感温度に至っては50度近くまで跳ね上がった日もあるとか。湿度の高さは200年ぶりの高さを記録していると言うし、熱波、干ばつに誰もがあえいでいる。

そしてヨーロッパ内で多発している山火事。ポルトガルでは15人の死者を出し、スペインでも一昨日5人の死者を出したばかり。フランスでも2700ヘクタールを焼き、イタリア国内にいたっては全州が火災の被害に見舞われている。VIPの別荘が並ぶことで有名なエメラルド海岸でも火災が発生、有名人の邸宅にもかなり火の手が近づいたと言うから観光業にも大きな影響をもたらしかねない勢いだ。テレビのニュース番組では燃え盛る松林など、この暑さを助長するかのような映像ばかり…。

しかし、暑いから山が燃えるのではもちろんない。全て人の手による意図的な放火が原因の大半を占める。昨日も4人が放火の容疑で逮捕。いわゆる全くの自然発生的山火事は全体の1パーセントにも満たず、半数以上が何らかの経済的効果をもくろんだ故意の放火、過失原因も3割を占める。
燃えた土地の事後利用をもくろんで、マフィアなどの犯罪組織が金を払って放火を依頼することもある。先に現行犯で捕まった男は無職にもかかわらず14万円相当を懐に持っていたとか。

日曜日には、ローマ法王も「雨が降るように祈りを捧げよう」と発言したばかり。同時に「放火は自然遺産を破壊する犯罪行為」と人為的な災害であることを厳しく非難してもいる。
それにしても消火作業に当たるヘリコプターやカナダエアの姿が消える日までこの暑い夏は続くのか…。

「モグラ症候群」03/08/04


人の流出を意味するESODOと言う言葉が週末になると新聞やインターネットのニュースの見出しに踊るようになった。バカンスはたっぷり一ヶ月、海で肌を焼きゆっくり魂の洗濯を…というのがイタリアンスタイル、ということになっている。が、今年は1100万人が何らかの理由でバカンスには行かない、としているらしい。しかし、そのうちの約300万人はなんと「行ったふり」を決め込むモグラ症候群(原文ではvacanze talpa=モグラ・バカンス) だと言うから、見栄なのかなんなのか。
バカンス「期間中」の自宅ろう城に備えて、冷凍食品&エアコンを買い、子どもにもおもちゃを買い与え、車をガレージに隠し、果てはサンタンマシンで肌を焼く…。携帯電話をオフにし、自宅の電話は留守番電話、隣の家に「留守中」の水遣りをお願いするため植木を持っていくかと思えば、インターネットでお土産まで注文。ろう城中はテレビで情報収集をし、「旅行先」で何か事件が起こっていないか頻繁にチェック。嗚呼、哀しきモグラ症候群。

背景にはユーロに変わってから加速したインフレがあるのか。友達にも同僚にも言えないのはやはりその見栄がそうさせるからなのか。それにしても、イタリア人とバカンスという切っても切れない深い関係に何かのひずみが生じていることだけは間違いなさそうだ。

首相の一日:失言 03/07/04


2日よりメディアを沸かせているイタリア首相の失言問題。今月からの半年を議長国として務める大事な欧州会議の出鼻をくじいた形になって、大恥をかいた、と思っている議員も多いところだろう。
ドイツの社民党議員に例の、議員の任期中は逮捕されない、裁判の被告にもならないという、難しい言葉で言うと、不逮捕特権を承認させて、ストラスブールの晴れ舞台に立ったという事実を攻撃され、(その他同内閣のボッシ(かなり右)はハイダーの閣僚よりも酷いだの、民放局を幾つも所有する同首相の商業活動などをいろいろ言われたらしいが)反撃に出たのだがあまりに直截な子供の悪口以下だったので、ドイツ議員他、欧州参加国からの総スカンを食らったということだ。
頭に来た首相は「イタリアではナチスの強制収容所を舞台にした映画撮影を進めている会社がある。あなたはカポ(kapo')の役にぴったりだ」と放言した。カポ、というのはナチに協力し、他の収容者を監視する役を買って出たユダヤ人のこと。日本の新聞では capo=上役という意味で収容所所長という意味に訳してあったけれど、イタリア人でも若い世代はkapo'の意味をはっきり知っている人は少なさそうだ。ちなみに強制収容所を舞台にした同名の映画が1959年に撮影されていて、主人公はナチに春を鬻い(売春ですね)で助かろうとするユダヤ人少女。
首相は議場の抗議にあって「これは皮肉をこめた冗談」と、当初言い逃れをしているけれど、ここにイタリア人の何でも言い訳します魂が息づいている。もちろん首相がこうだからイタリア人皆こう、というつもりはないが、イタリア人の最大公約数の中にこれがあることは間違いない気がする。特に本当のことを言われてあんな表現で切り返せるとは。テレビで何度も放映されていたけれど、良識のある人間ならその言葉と調子に目を疑う場面。言葉の最低の意味で(あ、福田和也みたい)すごいなーと私などは感心してしまう。もちろんこの人を支持したイタリア国民も同じ意味ですごいなー、だ。
ドイツ首相に正式な謝罪を求められて、謝罪、中傷失言問題は一応クローズという形をとったのが昨日の話し。それでも、悪いのはドイツの議員、私個人及びイタリア国民が傷つけられたと、あくまでも最初に手を出したのは向こうだという姿勢も、嗚呼、イタリア人。

ところで、前日の放送内容をある意図あるいはテーマに沿って短くつなぎ合わせたBlobというスポット番組がある。昨日のBlobにももちろん議場でナチ中傷を行う首相の姿があった。タイトルは中傷の核となったkapo'をもじってkapo'lavoro=傑作。もちろん言葉の最低の意味で。その後のカットがsenzaparola=言葉も出ないのタイトルで無言の市民が数分間、黙祷のように捧げられたのが唯一の希望のような気がする。

胸元が、気になります。 03/05/27


日本に帰って窮屈なことなどないはずなのに、アナウンサーの胸元だけは視覚的に胸苦しい気分にさせられてしまう。NHKの番組に出てくる解説お姉さんなど第一ボタンを留めたうえ、更にスカーフをする念のいれようだ。
街の中ではまずすれ違ったりすることがないくらいレベルの高い体の女以外は、女を武器にした風な恰好をすると女の反感を買うだろうし、なんといっても爺さん婆さんおばさん辺りが風紀がどうのといって抗議したりするからかもしれない。
なのにここではお昼の料理番組、つまり視聴者は家庭の主婦か定年退職した老人が主であろうと思われる番組の女性司会者でも、毎回どうしたのというくらい開襟なのだ。どれくらいすごいかというと、丸首のカットソーを着て登場したらイタリ版みのさんのビガッツィに「おーどうしたのだ今日は尼僧のような恰好をして」と言わしめるくらい。
ちなみに、このビガッツィはイタリの中年女性にめちゃめちゃ人気だ。人間年をとると冗談もハナシも多少粘着質な男に傾くのは万国共通らしい。

映画館今様。 03/05/26


封切になったばかりの映画を見に行った。館内の電光案内を見上げると、まだ400席近く席が余っているので、「人気ないんじゃないの」と言ったら「市内だけで11館で上映されるんだ」と夫に反論された。確かにここ最近映画館が新しくなって、しかもマルチサラで複数上映が可能になってきているから大入り満員で入れない、ということは昔に比べて少ない、と昔を知っている人が言っていた通りだ。コンピュータ化も進みインターネット経由で予約が出来たりと便利なことこの上ない。その予約が毎回ちゃんと受付嬢に伝わっていることもまたすごい。

映画館に行くといつも思うのだが、入場料が安いおかげで館内はすでにお茶の間状態。アメリカ人よろしくバケツ風のポップコーンにコーラという人が老若男女多いのは、もはや各国共通なのだろうが、映画がいよいよ始まります、という時に拍手したり歓声上げたり、上映中のセリフに相槌打ったり、また逆にざわざわしてるとご丁寧にシーッとやるのは、もはや居間で友達集めてビデオ鑑賞会をするのとなんら代わりがない。1800円も支払って厳かに入場している日本の日本人とはわけが違う。
ところで、映画の入場料が安いっていくらなんだ、というと実はよく知らない。7ユーロくらいと推測しているが通常うちでは組合が出しているシネマカードを使わせてもらっているので多分4ユーロくらいしか払っていない。日本での料金と、その差約3倍。金曜日の割引デーを利用したって追いつかないのだ。おのずと映画の重み、ひとコマの重みが違ってくる。日本人が映画を見るときにむやみにリラックスしたり笑ったりせず、真剣なのはそのためだ。実際1800円根性が抜けず、映画に固執し今後の展開を熱心に分析する私とは裏腹に、夫は念願の映画を見終わった割りに「トイトコタエ」ってどういう意味だっけなどと呑気そのものなのだ。クエスチョンアンドアンサーに決まっているだろう。

だけどしかし、ここには六本木ヒルズも丸の内のコジャレたビンディングもユリカモメも東京タワーも歌舞伎町もない。ショッピングセンター・レグルとローマ通りと昔使われたまま荒れ放題のモノレールの残骸とモーレアントネリアーナと道端にオネエサンがたっているだけだ。映画くらい安く見せないと反乱がおきるのかもしれない。ちなみに途中でフィルムを交換するための休憩を挟みます、という映画館はもうほとんどない。

イケメンの時代。03/05/23


イタリア語通訳の第一人者と目される方のエッセイを婦人雑誌で見つけてそして読んだのだが、出だしのひらがなと漢字の「いけ面」に驚いた。イタリアの男は「いけ面」が多くて首相のベルルスコーニからしていい男ぉ、とかそういう感じで使用されているのだが、その他に並べてあった有名人・著名人もいまやジイサンの域に達してまさかイケメンの領域には入って来ない。だけど、というか額面どおり「いけ面」ということだったらウン、そうかもね、というところか。ひらがなと漢字のイケメンはそういう往年の人々にぴったりかもしれない。とにかく一瞬「いけづら」と読んだのは私の落ち度ではないはず。流行語って、使い方間違えるとかなりイタタ。
それにしても、ベルルスコーニに関しては絶対に無理していると思う。というか泣きながら書いたと思う。そしてイタリアというアルゴメントはどう転んでも持ち上げなくては赦されないのだ、ととても深く落胆した。明るく解放的な太陽の国、というのをニホンジンモミナライマショー的に表現しないと原稿料の対象にはならないのだ。実際、イタリア関連で出回っているエッセイ本にはこの国をぶっちぎりに褒め称えた本が少なくない。マイナスもまた愉し、の突飛なポジティブシンキングになぜか陥ることになる。そういうのばっかり読んで妄想が膨らんできたら是非内田洋子さんの本を読んで虫下しをしたほうがいい。

スローフードの正体。03/05/21


日本に3ヶ月ぶりに戻ったら、テレビのニュース番組の特集でスローライフというのをやっていた。昨年は貰う雑誌に必ず一つはスローフードの見出しが躍っていたけど、なんでもスローつけておけばいいのかい。というかスローなライフをしている場合なのかしらん。立ち食い蕎麦屋の殺気立った客にスローライフってしってますか、とインタビューせざるを得ない係りの人は本当にお気の毒。

スローと言う響きといい、イタリアという震源地といい、すっかりアブラの抜けた手作りクッキーみたいな素朴さを漂わせているのかもしれないが、スローフードはつまるところ、玉ねぎを頼んでもイタリア産のがなかったといって買って来ないうちの夫のように、母国ナンバー・ワンな気質の人々が集まって出来ている長靴半島の半島根性によるオラが村万歳現象なのだと結局は理解している。つまりは日本人にあまり縁のない母国万歳というか強烈な自国肯定をいやがおうにもねじ込んでくるこの環境と、日本での「手作りクッキー」扱いの差がここまで私を過剰反応させるのだな。「毎日日本の団体が押し寄せてるよ、うはははは」という会長の印象すげー悪かった、ということではけしてないぞ。

「・・・コストと時間の削減を目指した大量生産、合理的な既製品から、一人一人に対応する昔ながらの手作り品が見直されている・・・」なんて薀蓄がひとしきり並ぶのが常だが、スロー応用編は意外に多い。スロートラベル、スロートレイン、挙句の果てにスロードライブ。スローでドライブなんてページを開く前からものすごい精神論やら薀蓄を想像し、それに胸焼けして次のページに進めなかったが、ここまで来たら単なる流行枕詞と理解したほうが気楽だとも思う。本来の意味どおりのスローでドライブしていた、電磁波が怖い白い人々なんかはさておき、この言葉を起点にどの方向へ進路を取るのか眺めてみたい気もする。

肉屋の白アスパラ。 03/04/29


明日は白アスパラガスを食べにベネトに行くのだ。といっていたら熱がどんどん出て一日遅れでベネトに行った。
夫はベネト行きに当たってバッサーノ近辺のレストラン検索に必死だったが、3日では勝手に食事に行っている暇もなく、今回はソプレッサを買うのがせいぜいだった。1年熟成させたソプレッサは塩味あっさりでかなり美味しい。そしてこの肉屋はアスパラガスまで売っている。店のニイサンは血色のいいドイツ人みたいな大男だが、この父親がバッサーノのアスパラ協会の創立メンバーらしく、その辺りのルートから美味いアスパラガスが手に入るらしいのだ。だからソプレッサとついでにアスパラも、とかなり期待していったのに、なんとあいにく売り切れだった。ところが郵送も賜りますという。真空パックですという。4日保証ですという。なんだか商売っ気が出てきたんだなぁと驚く。

なので、今回はアスパラは野生のものを茹でて卵と一緒に食べるというやつだけで、結局白アスパラガスにありつけなかった。バッサーノの橋のたもとのゼウスという陶器屋では卵置き用のまあるいヘコミのついたアスパラのデザインのお皿がいろいろ売っている。5ユーロだったので他のデザインもあわせていろいろ買ってきたのだけど、その皿にのせる肝心の白アスパラがなぁ。

 

死んだ子供の行くところ。 03/04/22


パスクアで感動というのもなんだかありえない気もするが、私が一番感動したのはイエス様の生涯と苦難、みたいな子供向けストーリーのアニメ版で磔刑に処されるその時打ち付けられたという楔の場所がきちんと手首だったこと。子供向けとはいえ、他の多くの宗教画やら彫刻などを見てもほとんどが手のひらに楔を打ちつけられているのに、手のひらごときでは体重が支えられないという史実あるいは物理に忠実な部分は吃驚だった。ネタ探しにシンドネの公式サイトを徘徊していたときに読んで知ったのだけど、手首に打ち付けても体を支えられるのは体重85キロ程度が限度だそうである。それにしても、キリスト教ってイタイ、イタイの歴史で私は嫌いよ。子供だって、イタイ、イタイの感覚に気おされることってあるのじゃないかしらん。引き換えというのは意外に宗教のキホンだったりして。

ところで、キリスト教信者が大半を占めるというかそれしかいなかった昔々のヨーロッパではキリスト教を信仰しないものは死ねば地獄へ行くと思われていたのだ、と夫が教えてくれた。ところがその当時は生まれてすぐに死ぬ嬰児も多かったわけで、かといって何もしていない子供が地獄へ行くのはなんともしのびがたい、ということで、生まれてすぐの子どもが行く、天国でも地獄でもない場所が出来たのだ、という。「出来たのだ」という時点でとても人工的なにおいがするが、こう解説する夫もヨーグルトを買いにアビットの工場には毎週行くくせに、教会へはクリスマスでも行かないという人間だから、あまり当てにはならないのだけど、しかし、日本にも同じような場所があったのではないか。一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため。賽の河原の石塔積み。安部公房の最後の小説にこれが少し題材で使われていたから覚えていただけであって、別に御詠歌好きとかではけしてないが、幼くして死んだ子供たちは、親より先に逝った罪を償おうとするのだから相当に痛ましい。

パスクアの翌日にはピクニックをしなきゃという多くのイタリア人がかかえる強迫観念をよそに天候も悪く雨続き。私はほとんどビデオ見てすごし、晴れ間をみてドライブをちょこっと、夜はなぜか油テラテラの中華で食事したりして、その合間にこんなことを考えた変な週末。

コロンバ、キライ。 03/04/18


私の部屋にもパスクアのウキウキとした気分の高揚が忍び込む今日この頃。
なにがパスクアだ、なにがパスクエッタだ、と気分はますます寒くなる。復活祭とかキリスト教関連のものにはやはり馴染めない。エホバの証人の勧誘おばさんにこんなに声をかけられる私でも。

でも一番気に入らないのはコロンバなのだ。復活祭のお祝いに必ずついてくるお菓子。食いたくないのに必ず出されるお菓子。中身はクリスマスの時のパネットーネと大して違わないクセして、単にハトちゃんの形だからということで、コロンバだなんて。ベランダに飛んでくるハトはピッチョーネといい、原爆記念館の近くで一斉に飛び立ったり、マジシャンの懐から出てきたり、ノアの箱舟にクローバー運んでくるようなのは全てコロンバだ。すると、ジョンウーの映画に出てくるスローモーションで飛び立つ古城のハトはピッチョーネかコロンバか。イタリアの車道で飛び立たずにまごまごしてぺっちゃんこに轢かれているのはまず間違いなくコロンバだろう。夫はピッチョーネだと主張するが、平和な穏健派がここで生きていけないのは自明のことで・・・なんていったら怒られるか。
それにしても、ここに長くお住まいの日本人の方で私と同じくパスクアを寒いとおっしゃっていた方がいてウレシイ。ピクニックだけ愉しむのもなぁ。

移民の国。 03/04/17


クネオの辺りもかなり移民の数が多くなってきて云々という7時のニュース。が、やれ外国人が多いといっても、アフリカ本土から本当にゴムボート乗ってやってくるモロッコ人とか、漁船の倉庫に隠れて荷揚げされるアルバニア人とかが多く、私にとってはいずれにしろ外国。人種の坩堝(なんていわないのかもう)とか移民が生み出すゲイジツの香りパリ、みたいな感じとは違う焦燥感。本当は在伊中国人が歴史的にも長く数的にも多いはずだがいかんせん彼らの活動は屋内専売なので、路傍で見かけることもあんまりない。いやなくはないけどやっぱりどちらかというと内職派なので目に付かない。それなのにこちらに来て1ヶ月目の休みに山奥のいわゆる親戚の実家とかいうところに一週間いたら、イタリア人のあの顔しかみていなかったので、鏡に映った自分の顔に、自分で「チュウゴク」と反応したものだ。チュウゴクというのは日本の中の内なるアジアなのだ。なんかそんな感じ。4千年の歴史と何十億という人口を抱え、日本の伝統を伝えようとすると枕詞のように「もともとは中国から伝わってきたものでぇ」と未だに言わしめるだけの国だけはある。

それにしても見かけの違いというものほど直接的に訴えかけてくるものはない。悪くても良くても区別というか、差別というか、いろいろな結果がくっついてまわる。慣れとはよく言うが、一日中日本語と格闘して、夫が帰ってくるとあ、ガイジン帰ってきたと思うことがある。嗚呼、視覚から入ってくる影響力の強さよ。

カッコ悪い147。 03/04/16


147がものすごくイタリアの車道を走っている。イタリア国産車としてはかなり売れたほうだと思うが、その金額にしては誰もが乗ってる147、日本で300万近くする車とは思えない勢いだ。
先ごろは、新型のアルファスパイダーが発表され、フロントマスクはまさしく147っぽい感じ。私的にはあの4つ目のライトが蜘蛛の目みたいで好きじゃないし、後姿もなんだか古臭い感じで、総じてやっぱイタリア、みたいな気がしないでもないが、一応ピニンファリーナが再デザインしているんだとか。車の世界って、やっぱり良くわからない。それにしても、これでアルファ好きの男達はまたまた彼女達(イタリア語で車は女性形だ)に釘付け、といったところなのだろう。すごく走る、性能のいい車のことをベスティアと言った運転手がいたが、ケダモノという意味のこの言葉も女性形なワケでなかなかセクシーな表現だ。言う人によるけど。日本語でもそういう言い方を研究してくれる男はいないだろうか。もちろん言う人によるけど。

で、今日はなんだかとってもカッコ悪い147を見た。
オプションで後ろにつける飾りばねみたいなやつが、あの丸っこい背中にくっついているのだ。なんだかすごくかっこ悪い。こういうセンスからして多分、車の所有者は若い人だと思うが、アルファの若葉マークみたいなのも右サイドに張ってあったりして、ものすごくかっちょ悪い。若者が簡単に147を買えるとは思えないので、その辺りもなんだか不思議な感じがするけど、親に金を出させて車乗り回しているのだという条件が加わるとするとますます無性にカッコ悪い。カッコ良いということもやり方によってはかなり簡単に崩れるのだ。

リンスは別料金。 03/04/15


前は会社の人に勧められた表参道なんかの美容室に行っていたのだが、普通の美容室でも結構巧い人がいることがわかって、今は日本に行くたびに予約を受け付けていないという不思議な美容室にお世話になっている。ただ、美容師の当たり外れはあって、しゃべると全てがいいわけに聞こえるという不幸な美容師もおり、この人にやってもらうとかなりいいわけじみたアタマになるので、あの男の人以外の美容師、と指定したいがそこまで度胸がないので、結構賭けだ。
ところで、こっちの美容室は、私は洗髪台がかなり苦手だ。首が痛い。というか2月に行ったスキーでゴロゴロ転げまわったときに実は鞭打ちにでもなったんじゃないかと思うくらい。あと、水も冷たい。こっちの人間のシャワー温度は私にとって水だから、頭洗うときもかなり水っぽい。そして、リンスは別料金だ。髪の毛の質の違いを思い知らされるワンシーン。当然いらないっしょ?という感じで担当のお姉さんは聞いてくるが。


「マンドリア〜深夜の館と敷地内の野獣・野禽をめぐるツアー」03/04/14

マンドリアという公園がトリノ郊外にある。「マンドリア〜深夜の館と敷地内の野獣・野禽をめぐるツアー」に参加してきた。言ってみれば福利厚生に当たる夫の会社の社員を対象に組まれたツアーだが、この程度でお茶を濁そうと言うのだったらイタリアの会社はケチだ。
ところで、このマンドリアも例によってサボイア家に縁の深い場所で、またかのアメデオ2世の幽霊が出るという場所でもある。アメデオ2世の幽霊は、馬に乗り、手にはグリッシーニを持っている。とバスの添乗員のおじさんが言っていた。グリッシーニは、幼少の頃の成長を助けた彼のために開発された特別に消化のよいパン(当時のパンは中のほうはあまり火が通っておらず、消化するには相当な胃袋が必要だったようだ)としてつとに有名なため、信憑性が高い、と彼はいうが、私には西郷さんの幽霊が犬連れて上野の公園に出るというようなあまりにひねりのない話で、なんだかこっけい。
マンドリアの敷地内に入り、館の前に到着。解説はガイドのおじさんから、長年この館の管理を行っているいかにもその道何十年のおじさんにバトンタッチ。おじさんについて2階に上がると、カッセットーネと呼ばれるはめ込み式の天井が豪華な広間が広がっている。広がっているといっても、王室の館にしては質素だ。次の間から4部屋は修復中で見学できなかったが、ダンスホール、王の寝室、女王の寝室などらしい。素朴なかんじのガイド役のおじさんは、何故王様と女王様が寝室を一緒にしなかったかなどを教えてくれたが、熱が入ってくると、バリバリのピエモンテ語で私にはさっぱり分からず、多少ふくれていた。だが、後で夫が、南出身の参加者も後ろのほうでわけわかんねーよと文句を言っていたと言うので、やっぱりイタリアって統一しなかったほうがよかったんじゃないかと勝手に思う。ただ、同じピエモンテ人には大うけで、盛り上がり。
その後はお待ちかね、野獣・野禽を夜の公園で観察するバスツアー。ただ、公園と言っても6500ヘクタールもあり、敷地内には鹿やらイノシシやらふくろうやらがゴマンと棲息している。餌などもやっておらず、ほとんど自然繁殖。というか、狼のような肉食獣がいないために自然淘汰が行われず、数の調整に苦労しているらしい。
で、このツアーがかなりアナログなかんじで面白い。8人乗りのバンが先導してくれるのだが、このバンを運転してくれるお兄さんは、マニュアル車を20キロ程度で夜の森の中を転がしながら右手は屋根に取り付けたライトを操作し、左右に広がる草原の中の野獣どもをライトアップしていくのである。その日は雨もふっていたが、このお兄さんは手馴れたかんじで右に、左にライトを振りながら、遠くの子連れイノシシなどを探し出していろいろな解説をしてくれる。この日は丁度トリノで大きな地震があったので、動物もいつになく群れていると言っていたが鹿の大群がライトの中で目をぎらぎらさせて何百頭も立ちすくんでいるのは圧巻。23時30分には終了するはずのツアーも1時間オーバーして終了。マンドリア公園の門近くにも子連れのイノシシが後ろ足を機敏に動かして闇の中に消えていく。


アルトピアノの小人。 03/04/11

ベネト地方のリサーチをしていた時のこと。
私は一人の小人さんに出会いました。というか、小人さんをダシに村おこしを行っているヴィチェンツァ県アルトピアノのアジアゴ7市町村のサイトを発見したというのが本当です。小人さんが自ら
1.自然遺産を守り、地域の伝統を守る
2.イタリア一美しいアルトピアノの自然を最大限に生かし、観光等の推進により人間の経済活動発展に寄与する
なんてスローガン掲げていたら立派ですが、まぁウリは自然しかないのだ、というありがちな田舎の村おこし運動といったら失礼でしょうか。
この小人さんたち、イタリア語ではニョミ、この地域ではサングイネッリ(通常は果肉の赤いオレンジを指します)と呼ばれ、「アルトピアノの美味しい空気」なんて缶も製造しています。時事通信や共同通信に当たるようなANSAがなかりのスペースを割いてこの情報を提供した、とありますが、それも平和な数年前のことでしょうか。
「空き缶製造してどうすんだよ」と怒り心頭の方には、小人さんが夢をかなえてくれるというお便り箱もあります。最近は小人も電子メールを操るようで、従来の郵便に加え、メールでも送信可。全部かなえるのではなくて、いくつかはかなえられるかな、と小人までイタリアらしさを忘れていません。できる限りお返事します、と個人サイトみたいな付記は人間の影響大といったところでしょうか。
小人さんにお便りを出そうというのも、サンタクロースの二番煎じといわれてしまえばそれまでですが、ファンタジーを忘れないイタリア人からは「小人さんたちと山や森を駆け回って自由なひと時を過ごしたい」とか「いつまでもクリスマスが終りませんように」とか「魔法のチーズの作り方を教えて(アジアゴは同名のチーズでも有名)」とかいう浮世離れしたメッセージが一杯です。まぁ、夢なんだからどういう空想だって妄想だって赦されるはずですが小人さんはやっぱり「もうちょっとまじめに働けば変わりますよ、世の中」みたいなお返事はしないんでしょうね。
そんな小人さんにお便りを出したい方は
電子メール:gnomi@altopiano.asiago.com
郵便:GNOMI DELL'ALTOPIANO
P.O. Box 1
36012 ASIAGO - ITALY

英語かイタリア語でどうぞ。ご自分の住所も忘れずに。




日本の伊映画、伊の日本映画03/04/07
トリノでは日本映画が細々と上映されていますが、日本ではイタリア映画祭が一昨年に引き続き行われるようです。友人が見てアンゴッショーゾとのたまっていた「casomai」など、上映作品もかなり最近のものばかりで、今のイタリアを知りたい、という人にはかなり面白そう。
一方私は、現在イタリアで上映中の「io non ho paura」を見てきたのですが、いかにもイタリア映画的な美しく素朴な映像に、村の恐ろしい秘密、子供同士の友情みたいなものが重なって、なんだかとても不思議な気分になる映画でした。いい映画、とは手放しに言いがたい何かがあり、かといって面白くなかった、というわけではなく・・・小説(原作はニッコロ・アンマニーティ)を映画化しているというので、その不思議な感じが腑に落ちなくもないですが。ウチではカチュッコと呼んでいるディエゴ・アッバタントゥオーノ(ブイトーニのカチュッコのCMに出ている)がいかにもなマフィオーゾ感を出しているのは安心してみられる感じでした。ただ、予告だけ見るとこれまた現在絶賛上映中のハリウッド版「リング」と同系列にされてしまいそうなオソロシサ。実際隣に座っていた女の子達は予告を見て「リングのほうが怖いってー」と思いっきり混乱していましたが。
イタリア映画際2003の詳細は以下の通り
期間:2003年4月27日(日)〜4月29日(火),5月3日(土)〜5月5日(月)
場所:有楽町朝日ホール 東京都千代田区有楽町2-5-1マリオン11階
細々と上映されているトリノの日本映画は以下の通り
CINEMA Massimo
4月中は毎週火曜日18時から上映中




東洋人であること。日本人であること。03/01/29

ほぼ一年ぶりの日本滞在。
この程度のご無沙汰ならコマーシャルにいたっては変わってないじゃん、というロングランもあり、ドラマの題名こそ変わっていても、出ている俳優陣はほとんど同じ顔ぶれというのが今までの安心感でもあったのに、今回は坂口憲二がホントにどこでも露出していたのはいいとして、韓国の人がこぞってテレビ進出していたので驚いた。人数にするとたいしたことはないのかもしれないけど、韓国本土から来たギャルがメインで一杯出ていた印象を受けた。

時はさかのぼって昨年のこと。
私は某展示会に毎日ユーロスター乗って馳せ参じるという無駄な早起きを要する業務に数日間ついていた。私が傅いたのは、日本から招聘された専門誌の記者2人。その他にもう一人、英語が必要な外国人ジャーナリストがいるのは前から知っていたのだけど、使えない英語を安売りするほど人がよくないので、会うなり早々「アナタ、招待した**に言ったほうがいいわよ、なんで、英語の通訳来てないんですかって」と早速おばさん風をふかす。彼女はこの春大学を卒業したばかりと言うぴちぴちギャルで、しかもちょっと私に似て可愛いこともあり、面倒を見ないつもりのくせについつい入れ知恵だけはしてしまう。ついでに日本からついて来た担当者とローマの担当者に「三ヶ国語でのお見積もり出してませんが」(ていうか出来ないじゃん)と予防線を張っておく。
そんなこんなで、ちょっと仲良くなったつもりの私は、記者たちとお昼に行くにも一緒に彼女を誘い、傅かなければならないはずの記者そっちのけでいろいろ話をしたりしていたのだ。流暢な英語を話す彼女には迷惑だったかもしれないが。
翌日、何度目かの無駄なユーロスターに乗ってホテルで担当者を待っていると、狭い会場で顔なじみになった業者さんに次いで、その通訳さんも到着、世間話をしながらシャトルバスを待つ間、「昨日食堂でお昼そっくりな方と一緒だったでしょう、妹さんかしらって話してたのよ」と話を振られた。妹は余計だ、と思いつつ、やっぱ可愛い子に似ているといわれるのは嬉しいもので早速相好を崩し「そうですかー、彼女大学出たての韓国のジャーナリストで・・・」と言った途端。「えーそうなの、ごめんなさい」とほとんど双方から同時に謝罪の声が揚がったので私は本当に吃驚した。タイミングというのはときに合い過ぎるという事もあって、その直後、同じ宿を手配されていたらしい当人がロビーに下りて来、さらに駄目押しのように「あ、でもこうやって間近で見ると全然似てないわね」というのも聞いた。
ちなみにこの2人が、生活・職業・趣味・その他になんら共通点がなく、その瞬間あえて日本人、という点でしか共通しなかったという事も哀しさに拍車をかけたような形だ。


時はそこからさらに3ヶ月ほどさかのぼる。
結果的には無駄になったロケハン途中でのことだが、丁度ワールドカップでイタリアが韓国に敗れ、赤い悪魔と大変な不評を買っていた時期で、サッカーの話から、今回の不義について日本ではどう受け止められているのかというような質問をイタリア人からされたことがあった。私は「どーなんでしょうねー」とメインの日本人に返答を託したのだけれど、「いやー、いろいろあるからねーそうそう批判できないって言う空気もあるんだよねー」というのがお答えだった。たぶんそうなんだろうとは思っていたが、やっぱりそうか。こういう立場のこういう人でもそんなことを言う雰囲気なんだなーと今になって思うが、私に似ているのに韓国人だからということで謝罪した人たちとをあわせて考えると、いまメディアに露出している韓国の人たちというのは日本人にとってカワイイ以外のなんらかの存在だったりするのだろうか。



毛皮反対・肉屋の店先。 03/01/27


新富町で寿司を食い、銀座でてんぷらと言う外国人ツーリストでもいまどきやらないようなことをやってまた日本を堪能するという胃袋主義の私は、ついでに買い物欲も満たそうと、そのまま松屋の特設会場に赴き、そこでバーゲンになっているファー製品の多さに驚いた。イタリアでもムートンがめちゃめちゃはやったし、一時の「毛皮を剥ぐなんてザンコクッ」という気分はどこへやら、老若男女「だってはやりだもん」を言い訳に、その他の毛皮も引っ被った2002年冬。日本のその会場でもフォックスやらなにやら横文字の動物名が多く刻まれたバッグ、コート、帽子などなどが特別大放出。ラビットにいたっては、叩き売り同然の値がついている。
ところで、毛皮を剥ぐザンコクさを前面に押し出して、動物虐待反対、毛皮反対とする活動を、トリノの目抜き通りで目にした。一般に彼等が活動する場所としては、現役の毛皮屋の前や、前毛皮屋のフェンディなどの店先が有力で、たまには裸で抗議したり、赤いペンキをまいてそのザンコクさを五感に訴えようとしたりする。
ただ、私がその時目にしたのは、生前キツネやらミンクやらであったと思われる皮を剥がれた動物の多くの写真。気持ちのいいものではないので、大いに顔をしかめてそむけるというパフォーマンスをしながら、20メートルほど人ごみに流されて胸に去来したのはしかし、肉屋の店先と大して変わらない光景ではないのか、という思いだ。
つまり皮を引ん剥かれたニワトリやウサギが華々しく店先を飾るイタリアの肉屋の存在を考えれば、視覚的に反対を訴えるという点のみにおいて、大して効果を挙げていないということだな。それよりも何よりも、皮ってどこから来るのか。食用とされない動物はさておき、食用として殺した動物のものを利用したりしないのか。(しないんだろうね)靴などに利用される、革の場合はどうなのか。毛皮買うような金はないので、とりあえずそんなことを考えてみたりした。


カーシェアリングでスモッグ対策。 02/11/22

カーシェアリングをするらしい。
冬になるとナンバープレートの末尾で偶数奇数に別れ、日交互で車輌使用規制が敷かれることもあるスモッグ大都市トリノ。ま、イタリア各地でやってることかもしれないけど、いろいろ環境問題にも悪影響を与えている車問題に新風を!吹き込む!!カーシェアリングが実施の運びとなったらしい。
現在のところ、導入車数は3タイプ16台で小型車プントにフィアットの最新作スティロ、そして奇抜な形で好き嫌いが分かれるがスペース的には広々空間のムルティプラがラインナップ。リブラ、ドゥカート、ドブロなどが続々投入されるらしいこのカーシェアリングは電話一本で24時間車の使用が可能な上、トリノの11の専門受け渡し所で車の受け取り返却が出来、規制区域にも進入可、おまけに通常有料のブルーラインで囲まれた駐車スペースに無料で駐車できるというものだ。ただ、料金は一時間2.39ユーロ。その金額をどう受け取るか、トリノ市民。
中心部まで辿り着くまでの交通と手間をどう考えるか、トリノ市民。
エコな時代のエコ的踏絵、カーシェアリング。となるために、当面は冷やし中華よろしくカーシェアリングはじめましたの周知徹底が先決かと思う。


食品安全管理とフォイエルバッハ。 02/11/21

「日本ミルクコミュニティ」だとか「もやもや病」とか「難読町村サミット」 とかなんだか日本語に関していろいろな意味でビックリすることが多かったこの一週間。
前者2点はもうちょっとどうにかなるだろ、といういみでであり、後者については、お、頑張っているなという感じ。頑張っているほうはおいておくが、ミルクコミュニティとはいかにも名前がやばいんで新鮮そうなカタカナ使ってみたりしちゃいました。という感じがして仕方ないし、商品として流通を目指すらしいメグミルクというのもなんだかな。
それにしても名前って大切だ、ほんとうに。難病だって、名前がもやもやじゃどうしてもどこかの隙間に突っ込みたくなるというもの。この場合は名前換えようよ、と言いたくなるが、雪印の場合はどうか。事件の内容からすれば名前を換えりゃいいのかという気がするのももちろんだ。しかし世の中一つのことにこだわり続けていられる人もそう少なくない。20年もすればまたメグミルクの時代が来る。

ところで、偉大なるスノーブランドが堕ちた事の発端はもう語りつくされたであろう子会社の牛肉偽装問題だが、今いるイタリアを振り返ってみると産地偽装や混ぜ物食品というのは意外に頻出している。というかこんなに出回っていていいの、と今更吃驚しても遅い気がするほどあふれている。その数、検査対象3件につき1件の割合。年間5万件、月にして2千件の違反事項が保健省管轄のNAS(偽装防止研究班)によって報告されているという。一日100件は下らないというからその数たるやものすごいものだ。ここでいう検査はレストランや、店頭での抜き打ち検査だし、どのレベルの違反なのかにまでは触れられていないので、スノーブランドレベルのものと比較することは出来ないが、イタリアの中でもここピエモンテ州はそのトップを行く違反件数の多さを誇るのだとか。これはやっぱり良くない。ついでリグーリア、カンパーナ州と続くが、そうした違反件数が多い物を分野別にみると最も多いのは肉類。ムッカパッツァ、いわゆる狂牛病のおかげでいろいろと注目を浴びるようになった食品の安全性だが、上記の数字を見てみると、なんだか日常茶飯事といった感もあり今更感はますます強まる。それにイタリアでパッケージしたフランス産の牛肉をイタリア産と表記してもフランスで解体、と(小さくても)併記してあれば現行法には引っかからないと精肉業者に聞いたこともある。なんだかややこしい。
より安全性を高めるよう、牛舎から店頭までの一貫したチェック体制の強化、法律の改正が検討されているというが、こうなったら一般消費者は美味い肉なら何でも食べるぞゴゴンゴーンで、よっぽどぎゃーとるずの方がサナなのである。健康なのである。
ところで、フォイエルバッハはこういっている。らしい。
「我々が口にするもの。それは我々そのものだ」
哲学サイトではなく食品サイトに頻出するフレーズだ。




「胡散臭い」にも時差があります。 02/11/13


携帯を一回だけ鳴らして相手にかけさせるという日本の皆さんにはもう遠い過去の記憶となりつつある現象があったと思うが、それが今イタリアにもやってきつつあるらしい。私も数週間前、2度ワンコールを頂戴しました。勝手な想像だが、カテナディサンタントニオ系の、例えばアルファクラブとかに加入してしまって友達や同僚に散々宣伝して歩いちゃうような人がたまらずかけなおしちゃうんだろうな、と想像してしまう。カテナ・・・は日本で言うネズミ講みたいなもので、親ががっぽり、子ネズミは孫ネズミを獲得するのにキュウキュウというのは万国共通のようだ。
ところで、昨日テレビを見ていたら、フィリピン人の医師が素手で外科手術を行うというのを実演して見せて、撮影のリポーターが取り出した患部らしい内臓の一部を貰いに行こうとしたら、拒否されたというのを放送していた。この素手外科医は実験台の女性のおへその辺りからぐにょぐにょぐにょと手を入れて、もぐもぐ動かし、ちょりんとした腸の一部やらを患部として取り出すというもの。これもなんだかだいぶ前、サイババなどよりもっと前に日本で一度話題になったことがあったような気がする。サイババといえば冗談みたいなブームになっていたこともあった気がするけど、イタリアでは未だに本屋に行くとそれ関係の本が並んでいる。もしかしたら本当に偉い人なのかもしれないけど。
思えば日本でもう話題になったじゃん、ということが今頃到着している感の否めない今日この頃。コルソフランチャのシャンゼリゼ計画も、日本なんか原宿が先にやっちゃってるモンねーだし。アーティストによる光のインスタレーションなんていっても、神戸にはイタリア人職人によるルミナリエがあるもんねーだし。10年以上も前から不況をやってる日本にとっては、フィアットが危機!なんて今頃遅いよーだし。
日本が遅れをとっているのは家庭用食器洗い機の普及とベビーシッターの普及くらいだろうか。


ヴィテッロ・トンナートにヒトコト申す。 02/11/07


料理にいろいろ文句たれたり、また薀蓄たれるのは行為としてはあまり好きではない。
出されたものはありがたく食え、という戦前戦中生まれもビックリの慎ましやかな食への感覚を未だに持ち続ける謙虚な私だが、ここへ来てそれに何の意味があるのかと気になって仕方のない料理がある。ピエモンテがその種類の豊富さを他州に誇る、アンティパストの一種、ヴィテッロ・トンナートがそれなのだが、これは煮込んだ牛肉を薄切りにし、この上にツナソースを満遍なくかけた冷たいアンティパストだ。これを見るたび、思い起こすたび、一体それにどういう意味が・・・ケセンソアと慎ましやかに叫んでしまわざるを得ない。ピエモンテはご存知の通り山の州で、つまりは牛やら羊やら山のけだものが多くいて、肉料理が豊富なのだが、それにわざわざ海のもの、しかもツナをマヨネーズかなにかで和えたソースを上に満遍なくかけるという。レシピをよーく眺めてみると、その中には、イワシの塩漬けを入れてあったり、マヨネーズは手作りであったりと、ピエモンテな感じを漂わさせていなくもないが、やっぱなーそざいをなー、あそんでるよなーという気がするでしょう。別に料理なんか分かるつもりはこれっぽっちもないけどさ。
そして、この色のなさ。煮込んだ肉と、ツナマヨソース。煮汁色というか、くたびれた靴下色というか、お互いに酷似した色合いが一つの皿の上で一緒に・・・。ところで、この色のなさ、というのはイタリア家庭料理においては結構頻出する問題点だと思う。偉そうで申し訳ないが。日本家庭でならねぎ刻んだり、葉っぱのせたりして青みを入れたりするけど、その必要性を感じる度合いが少ない様に思われる。(店頭ではたまにパセリのみじん切りが散っていることもあるが)そして更に、色のバランスもさることながら栄養のバランスも偏っていることもあり、例えばパスタのソースでサルビアの葉っぱと溶かしバターというのがあるが、あれなんかもってのほか、という気がする。日本の美味い蕎麦をめんつゆだけで食べるのとさほど変わらない、と後で気付くけど、まぁそれをここではじめると勢いがそがれるので、置いておこう。
それにしても、意味もなくめためたに文句を言ってしまった。
最近そればかり食卓に出されたとか、そういう恨み辛みは全くないのに、一度頭をよぎると離れない肉の魚ソースがけ。そのわりにアンティパストの中でもピエモンテらしさとしての格がかなり上というのも気に入らないんだなー。観光でピエモンテを訪れることがあったら、このアンティパストを指差してケセンソア?と叫んでみよう。店からつまみ出されること間違いなしだ。


人類みな兄弟、ではない。02/11/06


遊びたいという欲求が爆発するように走り回ってしまうのが子供だし、何度聞いてもおなじ話をしてくれるのが老人というもの。彼等のしぐさや行動を見ていると、特にマンションの上から、つまりあの濃い顔立ちが和顔と見まがうほどにぼやけて仕舞うくらいの高さから眺めると、人間一緒だなーなんて世界平和的な気分に私でもなることがある。この人たちのことが気にならなくなるというのも恐ろしい話だが、気付けばやはりこういう人たちにも慣れ、概算3年(早い)の暮らしの中には、こんな世界平和感が心をみたし、人類皆兄弟の念仏を唱えてしまう日がないこともない。
だけど。やっぱりあなた達とはチガウ!といわざるを得ない場面はいつも突然やってくる。日本人との違いを昨日の一日の体験で表すとすれば、そこまでしなくてもいいだろうと思うくらい「衝動」に駆られてしまうのがイタリア人だ。それは好奇の衝動であったり、表現の衝動だったりするのだろうが、まぁえてして日本人ならあえて行動に出ないようなことを、ガマンできずに思う存分駆られてしまうのだ。衝動に。
ところで最近は日本で言うところの重役出勤的時間帯にバスに乗ることがたまにあるのだが、昨日もそんな時間帯にのそのそと家を出て、さっさと、つまり切符の有効時間である70分以内に間に合うようにオフィスを出、バス停に向かった。あと少しでお昼、という時間帯なので、バス停の人もマーケットで買い物帰りの中高年の主婦が多い。その中に短い白髪を綺麗にまとめ、大振りのサングラスと素敵な発色の青のニット、手にはフエルト(なんて今は言わないのでしょうか)生地のしっかりとしたなかなか個性的なバックをもったパッと見とても上品な奥様がいらした。
珍しく晴天の暖かな陽気に、いつもかなり待たされるバスの待ち時間もぽかぽかと快適で、その日は更に道路脇に工事用トラックが止まっていて、かなたからやってくるバスも見えないと分かっていたから気長に待つことにしたのだが、この奥様はまず目視でやってくるバスが捕らえられないことにたいそうイラだったご様子だった。分かりやすい場面でイラ立つのも、このイラだちが見ていて痛いほどわかるのも彼等の特徴だが、最初トラックの裏から目視を試みようと体をそらせたりしていた奥様は、次第に車道にせり出し、仕舞いには車線中央に立ってバスを待ち受けるという無鉄砲を決めたようだった。歩道から見ていると、車線中央に仁王立ちという迫力のある光景。
それにしても分かりやすい。そして、日本人はここまでし(でき)ない。
分かりやすい、ということを嫌うのがまた日本人なわけで。複雑な人たちです。これも厄介ですが。
もちろんバス停で待っていたのは私以外にも何人もいて、車道でバスを待ち構えるというのは彼女一人だったから、この場合彼女のほうが例外ともいえるけれど、3年間の体験をろ過して個人的に抽出したこの国の人たちの抽出液的なものを垂らすと、この奥様のこの場面はやっはり陽性。
十把一絡げは私のような外国人を悩ます無知の結晶と勝手に考えているけれど、暮らしながら体感するその国の抽出液的場面は海外生活のサビ取り剤。別にこれであの国の人たちはこう、という気はさらさらないが、こういう傾向、を楽しめればそれでいいだけで。
その奥様は当然車道からバスに乗り込んでいった。

モンテナポレオーネ考。 02/11/05


モンテナポレオーネを歩く機会があった。ミラノに来たというのに日本食材屋へは行かず、サンバビラにさえ目をくれず、スピーガとか、サンタンドレアとか、ヴェッリとか、徹底したブランド通り漬けになってしかもショップをゴリゴリ眺めてきた。道行くお姉さんはほとんどモデル。道行くおばあさんはほとんどが犬連れ。つやつやした毛並みのしかしぶっとい胴体をしたブサイク系犬(ちょっとブサイクがポイントであると思う。けしてかわいいマルチーズではないこと)2匹(1匹よりベター)の綱を握って同様の奥様とコヴァの前で立ち話、というのが風景だ。
こうした中にまぎれて、私もたまには店内に潜入し、商品を勝手に手に取ったりはもはやしない上品日本人観光客を気取ってきたのだが、しかし遠目から見るとそれってプラダの三角マークついてるから買うんでしょ、というひがみやそねみの対象になる可能性のある品々も、実際触れてみるとなかなか素敵なものもある。うーんなるほどねと思わせるものが結構あるのだ。というか実際そうでなくてどうするという気もするが。というより、わたしがイマサラ、なんでしょうね。もちろん商品によってはそのご批判ドンぴしゃりのモノもあるが、しかし、それを買わせてこそブランドのチカラ、モンテナポレオーネのチカラというものであろう。わは。
ところで、そういう類のチカラはモードだけでなくフード業界にももちろん浸透している。はっきり目に見えない価値観の参入。つまり偽のパルミッジャーノしかり、偽のイタリア産ワインしかり。偽装はいけません、というのは良くわかるのだが、こういう勢いに温故知新の流れを取り入れ、いまや国際的追い風を受け向かうところ敵なしなのがスローフード協会。カタツムリという柔らかめなシンボルマークの内側を少しでも知ろうとすると気付くと思うのだが、反アメリカ的鼻息の荒い世界でもある。絶滅の危機に瀕する伝統食材や加工製品を守って行こうというのも、その目的が先なのか、あるいは世界標準ってなんだよ的意地から来るのか。わたしは半々だと思う。
で、こうした失われつつある伝統食材や製品を、ここでがっちりとビジネス的裏打ちをし、時に過酷な伝統的作業にもとづく製品の価値を適当な評価に高め、商品としての流通が図られていくのだが、しかしその価値を見極めるのは誰か。もちろん消費者、生産者双方でなくてはならないのだけれど、現実には難しい。価値があるのは朝5時に起きてヤギの搾乳してチーズに加工するというその伝統なのか。伝統に価値があることはいいことだが、この希少性をこそ価格に反映させるということだって出来るわけで。
それにしても、ビジネスチャンスが大きくなり、利権がいろいろ絡みだすといろいろといやらしい世界になってくるのは仕方ないんでしょうね。
素材もさることながらタグ一つで値段が一桁違うということは、もはやイメージの駆け引きなワケで、そう思いながら石畳のスピガを歩いていると、それはそれでいいと思う。Gのマーク一つで5万円も出せない、というのならユニクロに行けばいいだけの話。だが、ことが食べ物となるともう少しデリケートになってくる。体に安全なもの、美味しいものの方がいいに決まっているが、あまり凝りだして食品のモンテナポレオーネみたいになってもなぁと少しだけ思う。


フィアット・栄光の終わり。 02/10/10


低迷、低迷のフィアット。ここのところ自動車部門はGMに買収予定だとか、アレーゼの工場閉鎖だとか、この先お先真っ暗といったニュースが毎日のように流されている。その昔、人員不足解消に南部から労働者を大量に投入していた時代もあるようだけれど、今度は北のあんた達が南に出稼ぎに行く番じゃないのと憎まれ口を叩くと、南の工場もかなり閉鎖されるらしい。いわゆるワンボックスカーのマーケティングを誤ったせいだとか、いろいろ言われているが、夫の実家の斜め前にGMのお偉いさんのファミリーが4人して住み始めたのは1年以上前のことだから、話はだいぶ前から決まっていたことのような気もするし。(って関連会社はだいぶ前からありますが)どうでもいいけど、このアメリカ家族、みんなしてイタリア語しか話さないそうだ、メズラシイ。
鉄道が繁栄しないのはフィアットのせいといわれるほど経済と影響力の強かった企業が牛耳るこの町は、ここ最近観光化にも俄然力を入れだしているし、あたりに当たったスローフードの本部が州内にあるおかげでトリノを食の都市に!と異様な力の入れよう。とはいえ、市のバスが走らせているツーリストバスは大して需要があるようにも思えず。スローフード協会の授賞式のプレゼンに行ったら、パッと見で分かる外国人と言うことで、妙にプレスのおじさんたちに写真やカメラを向けられた。歩道を行けばチュウゴクとか言われるてる東洋人の私が、こういうちょっとおおやけな場にいくと、インターナショナル色を出したいプレスの餌食になる。そのあたりの底の浅さというか、いやらしさがなんともいえないけれど。
ところで、そのフィアットの元工場、リンゴットは16年かけてその姿を工場から複合多目的ホールへと姿を変えた。新たなアイデンティティーを模索する姿の象徴といわれるリンゴットの屋上には長きに渡った施工の最後に完成したピナコテカ(絵画館)が鎮座する。会長夫妻が人生における思いでそのものという絵画が収められているこの絵画館は、一つの時代の終わりの象徴なのかもしれないが、また、始まりでもあると思いたい。
それにしても、トリノはどこへ行くのか。

一度財布から出した銭はしまいにくい。 02/09/27


新宿を歩けば胡散臭そうな人達に声をかけられ、銀座を歩けば手相の人達に声をかけられ、ということはよくあると思うが、ここでもミラノを歩けば若いお兄さん達に声をかけられ、トリノではおばさんかじいさんの2人組に声をかけられるので、いつものことながら洋の東西、違いはないと思う。
外見は様々でも目的が大概お金か入会というのもまた一緒。入会もなんの会だか知らないけど、その半分ぐらいはお金に繋がっていく気もする。
トリノで会う人たちは新興宗教の勧誘が多い。大概2人組で、中年女性が圧倒的。たまにおじいさん2人組のときもあるので、もう前からやってくる2人組み見るなり、できれば反対側へわたりたいとさえ思う。渋谷のティッシュ配りとおなじ感覚で結構です、と通り過ぎようとすると、まぁなんて失礼な人、という目をされるのがなんと言ってもイヤなので。朝のくそ忙しいときにいちいち丁寧に断っていられないし、頼んでもないのに小冊子なんか引っ張り出さないでよと思うが、彼等としては、一度立ち止まって、ちょっと手に取ったりして、それでも、いや、申し訳ないけどいいです、くらいしないとにこやかに立ち去れないようだ。たまに、アナタの国の言葉もあるわよ、と自信満々でアラブ語だか中国語を引っ張り出す人もいるし。
ミラノに行くとさすが大都会、日本語なんかもしゃべったりする。若くてかわいらしい若者がサンバビラ近くの、たとえばZARAの前辺りなんかに2人組で何か配っており、私のようなジャパニーズツーリストもどきにも英語でハーイ、ドウーユースピークイングリーシュ?なんて声をかけてくるのだな。で、このエイズ撲滅キャンペーンのバッチをあげるよ、みたいなことをささやかれる。ジャパニーズ?なんていわれて頷こうもんなら、エイズノコドモヲタスケテ、なんて日本語の大サービス。で、大概の人は感動して、かどうか知らないが、とにかく手にとって眺める。そうすると、さっとその横から貯金箱が出てきて、コレに献金してくれる???とまたささやかれるのだ。うーん、じゃぁとジャパニーズツーリストらしい鷹揚さを発揮して、そのワリにはせこく1ユーロなんか差し出すと「献金は7ユーロ以上ってお願いしているんだよね」といやにきっぱり言われる。渋ると「じゃ、コレはあげられないけど、この1ユーロは寄付してくれてもいい?」なんてマタささやかれるわけだ。笑顔で。
一度財布から出した銭はしまいにくいという心理を巧く利用して、やつらは数分間の英語混ぜ日本語混ぜ会話で1ユーロをゲットするという動く強制貯金箱・・・。
男性用にはかなりかわいめのぴちぴちギャルが、「ねぇ、今話してもいい?」とやってきて、「アタシ、バレリアって言うの。よろしくね。(ここで男も名を名乗り、握手)で、突然だけど麻薬やってる若い子についてドウ思う??」なんて話し出したりする別バージョンもある。もちろん麻薬撲滅キャンペーンをうたった単なるタカリに過ぎないのだが、遠く離れた町でも一字一句違わぬ文句でこういう活動をしているらしいので今更言われるまでもないと思うがなんとかの撲滅キャンペーンをうたっている街頭の人には気をつけよう。私が言っても説得力ないけど。

イタリア化した日本語たち。 02/09/26


ところで、昨日私は料理をした。例のごとく王様と貧者のレシピを捲ると米とヴェルザというタイトルに何の工夫もないレシピが載っていたのでこれに決定したのだが、スライスした玉ねぎ、ヴェルザを炒め、お湯と塩、タイム、小さじ一杯のタマーリを少々加えて20分ほど煮るという。
しかし、タマーリってなんだろう。すでにヴェルザいためながら、これに後で卵かけるんじゃ肉なし親なしの親子丼だよなと思っていたら、タマーリとはたまり醤油のことなのだと判明した。和食は大好きだが、イタリアン作るつもりでオーブンまでつけたのにこれじゃ普通の親子丼のほうがよっぽど美味しいじゃないかとちゃぶ台ひっくり返しそうになる。かろうじてイタリアンなのは最後にふりかけるパルミッジャーノのところだけ。このさいパルメザンチーズと発音しておいたほうがあとくされがなくていいのかも。それにしても94年初版のイタリアレシピ本に塩やタイムにまぎれてタマーリとは。醤油の名が未だに浸透せず、サルサディソヤのイタ名で呼ばれているというのに、いわばファーストネームでタマーリと溶け込んでいるたまり醤油のたくましさ、これこそたのもしき日本語だ。
そういえば義理の妹のうちで「アタシタチ、最近サラダにはゴマーズィオかけるのがはやりなのー」と見せられたのが自然食品店で買ったという小さな紙袋。ごま塩だった。彼女達はGomasioという商品名だと信じて疑わないらしかったがそれはごま塩です。日本語です。
パルトロウやクルーニーをCMに起用するマルティーニでさえアペリティヴォのお供にSUSHIをあしらってハヤリのスタイルをかもし出している昨今。このブームに便乗して反撃を試みるたのもしき日本語にこれからも期待しよう。

イタリアでは良く見るタイプ。 02/09/24


小さいころ商品をレジに持っていくのが恥ずかしかった思い出がある。これください、とキキララのペンをレジに持っていくのは、おなじサンリオ商品でもゴロピカドンではなく、この消しゴムが上についていてピンクではなく黄緑のきらきら光る模様のついているこのペンがほしいのだ!という欲求の提示であるわけで、モノを買うのが非常に恥ずかしかった。何もフィレンツェの出店で売っているダビデ像の下半身があらわになるペンを買うわけでもなし、一本のペンごときで、と思われるかもしれないが、大仰に言うと、欲求は常に羞恥のフィルターを通して実現されてきたのである。
よく思うことだが、イタリアの人には何かをするときに羞恥とか、ためらいとかがあまりないように思える。というより、こうしたいという場面に突き進むという印象を受けることが多い。とはいえ、ペン一本購入するのにごちゃごちゃ考える私のほうが特殊だと思うからあまりあてにならないし、ためらっていたらパン屋でも肉屋でも魚屋でも順番は永遠に回ってこないと思うからそれはそれで死活問題だ。
まぁそんなことはどうでもいいが、一度旅行中、ガイドさんの配る入場券を一番最初に受け取らないと気がすまない女性がいた。入場券を手にしたガイドさんがまだ説明をしているのに、視線は入場券に釘付けで、じわりじわりと前列ににじり寄り、配布の段階になると、ものすごい勢いで手を伸ばし、ひったくるようにして夫の分と合わせて2枚、ふんだくるのだ。ちゃんと人数分あるのに、最初に貰いたいという欲求を恥も外聞もなくという言葉そのものに行動に移せる人というのが不思議で、非常におかしかった。イタリアでは良く見るタイプだ。

 

それでもピザのストライキ。 02/09/23


ローマのマクドナルドイタリア第一号店へ宣戦布告したのが発端といわれているスローフード運動。いまじゃ日本でもなんだかおしゃれな雑誌にいろいろ取り上げられたり、スローライフなんて亜流も生まれたりと今っぽい感じがぷんぷんする流行語になってしまった。日本語の雑誌は例によって穴の開くほど繰り返し読むが、今年1月の週刊文春をパラパラと捲っていたら料理学校の服部幸應さんはともかく宇宙飛行士の夫の向井万起夫 さんまでスローフードなんて言葉を原稿に残しているので、ここまでキタかという感じ。念のために書き添えておくと、スローフードはゆっくり食べりゃいいというわけではなくて、食に関する伝統を守ることやその継承、生産者と消費者の信頼再建を目指し、味覚教育まで買って出るという一大プロジェクト。志も高ければ、本拠地もトリノ郊外のしがない町ブラから花の都おパリに打ち立てていろいろな活動をしている。
それでなくても、食に関してはいろいろ文句が多く、やれEUの基準によって伝統的手法で生産されたモッツァレッラチーズが違法になるとか、やれイタリアオリジナルのピザやワイン、生ハムなどの食品が世界中でコピー生産されているとか、口数だけは多い。その割りにピザの値段が高いといってストライキとはどういうことだろう。
Aducという消費者連合では平均的なピザ・マルゲリータが全国平均で5ユーロという価格に抗議して21日の土曜日をピザのストライキと決めた。なんでも平均的なマルゲリータ一人分=210グラム に対して使われる材料は、小麦粉に水、トマトにバジリコの葉っぱ、オリーブで原価49セントと計算。これに対して1000%も上乗せしていると怒りのストライキを呼びかけたというわけだけど、10倍って書けばいいものを1000%なんて表現も過剰というか。TVのインタビューでは、経営者がなんだか疲れたような顔をして「人件費なんかも含まれるんですけど」と応えていたが、当たり前である。前出のスローフードやら、画一化を嫌いオリジナルを主張する姿勢とは打って変わってケチ路線。人件費はもとよりピザ作りという伝統技術への費用は含まれていないのか。他に高すぎるもの、割に合わないもの、理不尽なものは掃いて捨てるほどあるのに5ユーロのピザに矛先が向かうあたり、やっぱりこの国だなと思う。どちらにしても口数の多い国である。

 

ミラノの大道芸人。 02/09/18


良い人に限ってお礼が出来なかったりして悔やむことがたまにある。 何かの取材や撮影の際、ヨーロッパと一口に言っても金に固執する人ばかりだったり、妙にボランティア精神旺盛だったりと人・国・地域で様々らしいのだが、ここ北イタリアは金持ち喧嘩せずのイメージと旅行者の一人がおっしゃるとおり意外にボランティア精神に富んでいる。今回は特に何処へ行っても「いいよ、日本とは昔から付き合いあるしさ」とお金など受け取ってくれない鷹揚さでこちらもビックリしながら恐縮するしかないのだが、運転手が言っていたとおり「日本人ってのはこの町では良い切り札」で、日本人デス、仕事のためデス、と説明すれば大概が大目に見てもらえるらしい。まぁ金離れが異様にいいから、というのは主要な原因だと思うけれどそれ以外に日本人を強調するのは誰かと間違われたくないためなのか。現場でごたごたしてくると良い方向へ連れて行ってくれそうな流れならどんな流れにも乗るぞという気持ちになってくるからまぁどうでもいいや。

ところでミラノなどの大きな町へ行くと大道芸を披露している人がいる。特に最近良く見るのが銅像化している人たちで前に置かれた箱に小銭を入れると一定のユーモラスな動きで楽しませてくれるというあのタイプ。で、こういう人たちって何時休憩しているんだろうと不思議に思っていたのだが、通りがかったら丁度始める前らしく、台の上に座って顔を塗っていた。これまた丁度こういう大道芸人に声をかけなければならなかった私はその白く塗られた顔の前に立って声をかけると、非常に良い感じの人で、概略を説明した後、恐る恐る金の話を切り出したら「いいわよーそんなの。適当においていってよ」と。体力勝負のこの仕事で珍しい芸暦4年の女性。
こちらばかりの無茶な要求にもいろいろ応えてくれ、前に通りがかったときから、彼女の前にはよく人が集まるなぁと言う感想を抱いていたとおり、他の観客にも異様に受けがよく、ああありがたやという気分になって来たけれど、流れというものもあるのでとりあえず次に。「すぐ戻るから」とステゼリフを決めて立ち去ったはいいけど、戻ったらいないじゃない。いつもの場所にも、たまにいるという場所にも、移動してもらった場所にも何処にも。私はしつこく、次の日も、翌々日もその次も彼女のいそうな場所を探し回ったのだけれどあっさり姿を消してしまっていて、お礼もできず、お金も渡せず。思うに、前に声をかけたときに日にちは言ってあったのでその日までミラノにいてくれて、終了と同時に夏休みに入ったのではないかと。私の名刺は渡してあるので、「カネ」と電話がかかってくるかもしれないけれど、それはなさそうだし。いつかミラノに行ったときはと思っているけど、近ければ近いでなかなかそういう機会にも恵まれず今に至ってしまっている。こんなところで宣伝になるとは思えないが、ミラノのリナシェンテ前でパフォーマンスをしている女性大道芸人をみたらお金入れてみてください。


イタリア語の擬態語も負けてません。02/09/17


歩道で互いが互いに喰らいつくようにしつこくキスしている若いカップルを車運転しながら横目で見て「あああーあんなところでズバッチュッキアーレしちゃいけないんだよー」と思春期的好奇心丸出しの夫。バタバタとかどたどたとかガンガンとかべたべたという擬声語でないと実際しゃべってもその臨場感が伝わらない気がして、かといって辞書なんか捲ってみても、妙に説明的な訳語になっていて消化不良で不満を抱えることになることが多いけど、「これってオノマトペイコだよ」 と得意そうに夫が言うとおり、たまにそこまでしなくてもと思うようなイタリア語の擬声語に出会えてうれしいような、悔しいような。
ところで、心機一転コムーネの無料学校へ行くことにした。外国人のためのイタリア語講座はもとより、シエナ大学主催のイタリア語検定準備講座まであるというなんだか気味が悪いほどのもてなしぶり。このCILSという試験は絶対に受けようと思っていたので出来ればこれを受講したいけど、電話で問い合わせたところ、病院で言うところの問診表のようなものがあってそれに書き込んで必要に合ったクラスに配属してくれるというのでまずは申し込みから。申し込みの場所が多少遠いのが難点だけれどそれを言っていていままでいろいろな機会を逃したのである。そういやオノマトペイコに限りなく近いこのイタリア語。これだってもうちょっとましになるかもしれないし。


イタリアのブサイクちゃん。 02/09/12


ジャンニモランディのニューシングル、出ますね。
国営放送のライで繰り返し彼の音楽を使っているので一億満たない数のイタリア総国民が一丸となって洗脳されているはず。私もご多分に漏れず。日本人だけど。
だけど、彼の顔を見るたびに、年のワリには黒々ふさふさ生えている髪の毛が石坂浩二を思い起こさせて仕方ない。
で、ついでに言うとこの人(ジャンニのほう)の息子も音楽活動をしているらしいけれど、あるイタリア人に言わせるとすごいぶさいくらしい。「歌手」や「ジャンニの息子」という属性よりもぶさいくというただそちらの方が言われるということは相当なんだろう。ついでのついでで言うと国外追放になって(最近出入り許可になったんだっけ?)今はスイスにいる元国王一家サヴォイア家の末裔もその人に言わせるとブルッティーノらしいのだが、日本語だとぶさいくちゃんとでも言えばいいのか、まぁ確かにこんなもんかよおい的王子様なので、否定も出来ず。 先代の王様も「ちっこくてぶさいく」だったらしいので歴史の教科書にサヴォイア家と出てくる分にはいいけれど、テレビで何でも撮られてしまうヴィジュアル重視の昨今、スイス辺りにいたほうが無難なのかも。
なんて、気を抜いてるとこの王子様しっかりドッキリカメラなんかに出演してたりするので、驚いてしまう。

 

数字で見るミスイタリア。 02/09/10


昨日恒例のミスイタリアが決定したみたいだけれど、このサイトもお世話になっているティスカリが変なメールを送ってきたので私としてはそちらのほうが気になった。変なといってもスパムとかワームとか最近のおっかない附録付きのやつではなく、タイトルがずばりミスのおしりというもので、ファイナル60選に残ったミスの退場間際(と思われる)の尻写真が掲載されているのである。文章だけでは良くわからなかったので(ナンテネ)早速行ってみたところ、本当にだけが60枚写っている模様。
それだけでは芸がないと思ったのか、ミスの最高最低値も掲載されているのだが、そちらのほうが面白い。最もトシいっているミスはトスカーナの26歳。若いのはヴァッレダオスタの18歳。髪の毛の一番ブロンドなのはピエモンテで、一番黒いのはウンブリアだとか。最高身長は182センチのトレンティーノ・アルト・アディジェのミスで、168センチのサルデニアのミスとの差14センチ。足のサイズも対象になっていて、小足ミスは35/36サイズ(日本の約22.5センチから23センチに相当)のサルデニア。大足ミスはなんとサイズ43。相当にでかい。私など年齢でまず引っかからず、身長で引っかからずだが、足のサイズと髪の毛の黒さ位でなら勝負できるかも。ってミスじゃないんだから問題外ですね。

それにしても美人がいないという評判だった今回のミスイタリア。
スタイルはいいけどなーという男性陣の意見に私も一票だったのだが、その中で栄冠を射止めた今回のミスをご覧になりたい方はこちらでごゆっくり。



辞書なしで生活できる日。 02/09/09


数年海外にいるごときで日本語忘れそうなんてぶつつもりもないが、数週間前には「鬼籍に入る」の意味も分からなくて急いで辞書を捲っているあたりなんだかすごく悲しい。イタリア語なんてやってる暇はないという気になる。仕事しながら息抜きによったyahooのニュースでわからない言葉などあった日には本当に泣きそうになる。
で、分からない単語(って、日本語なのに)があるとそのままgooの辞書機能を使って意味が調べられるのはこのご時世ならではの便利さだけれど。
最近調べたものを恥をしのんで書き出すと、タニマチとか揺籃期とかみかじめ料とか。別に知らなくても他の言葉で十分言い換えのできる言葉かとは思うが、母国語読んでてはっきり意味が分からない単語が出てくるというあたりで、辞書引きっぱなしの生活していると、本当に情けなくなってくるのだ。みかじめ料なんてみじかめ料かとおもって何の裾を直すのかとおもったけど。

家で雑誌を捲っていてもそういう単語に出くわす。そういう時は講談社学術文庫から出ている国語辞典で言葉を引く。この辞典は前の職場に置き去りにされていたのを私が頂戴してきてしまったものなのだけど、なんといっても古臭い言葉が多く乗っているので、ここに載っていなければ私的には古語の部類に入り、学ばなくてもいいということになっている。意味合いは多少異なるがイタリア語におけるズィンガレッリみたいなもので。

母国語のプライドで日本語の単語なら古いものまで知りたいと思うし、外国語と意気込めばイタリア語なら新しい言い回し、表現がほしくなる。辞書なしですごせる日は来ないのでしょうか。

 

公官庁発行の雑誌を講読しませんか?02/05/30


消防署から電話がかかってきた。ティトラーレと話したいというので、建物のコントロールかなと思って上に回すと、「雑誌だってー」 というので何かと思ったら、消防署の雑誌を買わないかということらしい。消防服姿が堪らない、とかいうマニア向けの雑誌かなにかかと打ち消しつつ思ったけど、いわゆるこれを隠れ蓑にした、金の関係らしいのだ。つまり、あんまりコントロールに来られちゃ困る人は、この雑誌を購読し、購読代金として金を払う。嗚呼、タンジェントポリ。
警察にコントロールに来てほしくない類の人々用には警察雑誌ももれなくご用意されているというからありがたいというかなんというか。そういう人は、警官の制服マニアということにして、警察発行の生粋の警察雑誌を購読すれば、コントロールを受けずに済むというわけだ。出来損ないの印籠みたいだな。

購読すると毎月消防署や警察がじかに届けに来てくれるんだったらおかしいけど。

だけど、雑誌の定期購読している人はなかなか少ないし、なんと言っても新聞配達が浸透していないのが日本人の私には不便。最初はどうしてかと思っていたけど、答えは一つ、盗まれるから。
新聞など毎朝持ってこられたら、絶対誰かに持っていかれるそうだ。こっちのポストなど、必ず鍵がかかっているタイプが多いにもかかわらず、ちょっとはみ出そうものならそこから引っこ抜かれるなどして、もっていかれるらしい。友達に聞いた話だが、ちょっと値の張る、専門雑誌を定期購読したら、12冊中8冊しか手元に届かなかったらしいから、恐ろしい。

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